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Richard Wollheim, "Criticism as retrieval" 編集

From: R. Wollheim, Art and Its Objects, 2nd ed.(Cambridge University Press, 1980), pp. 185-96, 199-204.編集

批評の回復説 編集

[It is a deficiency of...]編集

  • ある芸術作品を理解する[understand]ようになるまでの過程を表すのに使う語として,「批評」["criticism"]という語を使うことにする
    • [「批評」は]視覚芸術の領域[への適用]では純粋に評価的な活動を指す
      • [けれども,あくまで理解するまでの過程を指す語として用いることにする]

[The central question to...]編集

  • 批評についての問題は,以下のようなもの
    • 批評は何をするものか?
    • ある批評はどのようにして評価されるべきか?
    • ある批評が適切なものであるかどうかの決定要因は何か?
  • Wollheimはこれらについて,「批評とは回復である」と答える
    • 批評の使命は制作過程の再構築である
      • 制作過程とは,その途中で止まったところが芸術作品になるようなものなのではなくて,その芸術作品を終着点としてなされたものと理解されるべき.
      • [例えば,制作途中でできる下書きなどは芸術作品ではないということだろう]
  • [作品の]制作過程が再構築されると,その作品は理解に開かれる.
    • [理解するようになるまでの過程が批評だったのだから,これで批評は終了ということ.]

[To the view advanced, ...]編集

  • まずは反論を見ていこう.

反論1:回復としての批評は不可能ではないか(改訂説)編集

[1* The first objection...]編集

  • 最初の反論は,一般に,Wollheimの回復説では批評が不可能になってしまうだろう,というもの.
    • 例外的な状況を除けば,制作過程の再構築など,実際的な可能性の限界を越えている,というわけだ.

[Any argument to any...]編集

  • こういう議論はさらなる前提を必要としている.
    • 知識の本性とその限界とについての前提
    • 心の本性とそのアクセス不可能性とについての前提
    • この反論の正確な定式化により,これらの前提が明らかになる.
  • この反論の極端なもの:批評家[批評者[と芸術家[制作者]とが同一人物であったり,制作過程に関して芸術家による完全であいまいさのない同時進行的な記録があったりするのでもないかぎり,制作過程を回復することは不可能だ
  • こういう懐疑主義や独我論などを,哲学のなかでされている以上に過大評価してはならない.
    • 伝統的に芸術哲学者は,制作過程とか芸術家の心的生活とかはある程度の認識論的問題を提起すると考えてきたけれども,そのような問題は,一般哲学の探究においては,それほど重大に扱うべきものというわけではない[not sanction]のだ.
      • [ここでの“伝統的”とは例えば新批評などか]

[These difficulties...]編集

  • こうした困難を度外視しても,いま考えている反論は決定的でこそないが,説得力あるものだ.
  • しかし,この反論がもっと強い効果をもたされる場合もある,すなわち,回復としての批評の実践だけでなく批評とは回復であるという見解そのものが,どのようにこしらえられた場合であろうと,懐疑論的・独我論的前提と両立しない,と主張されるような場合もある.

[A step further, and it...]編集

  • この反論を一歩進めると,[回復は不可能なのだから,]批評とは改訂[revision]である[改訂でしかありえない]という見解が出てくるかもしれない.
    • 批評の使命とは,作品がその場で批評家に対しもっとも[よく]示すように解釈[interpret]してやることである,というもの.
      • [ここのso to interpret the work thatは,ちょっと破格なso that構文ととらえる]

[It is clear that this...]編集

  • この派生的な議論もやはり,さらなる前提を必要とする.
    • 前提:回復に必要な根拠を欠いていても,批評による改訂は正当化できるとすると,その場合批評は,回復のための適切な証拠がある場合でも,やはり[作品の解釈を,回復できるにもかかわらず]改訂するはめになってしまう.
      • 作品に関する歴史について無知な状態では,そうする義務でもないかぎり,その作品を我々に関連付けてよいことにはならない.
      • [そして,知識がある場合でも,この関連付け義務は残る.
      • [ということは,関連付け義務を放棄してしまうことになるので,]改訂は批評の仕事ではないことになる.それは批評にとって,応急的な次善の仕事にすぎない.
      • じっさい,改訂説のうちもっとも強いものであっても,それは懐疑論なしでやっているし,少なくとも懐疑論と矛盾する.
      • [ここでは,懐疑論を含んだ改訂説は,もはや扱われていない.]

[The thesis I have in...]編集

  • いま考えている「根底的歴史主義」とは,芸術作品の意味は歴史を通じて変わっている,というものだ.
    • これのもとでは,ある歴史上の瞬間における批評の使命とは,作品から抽出した新たな意味を提示することに他ならない.
    • 芸術作品の意味が変わりうるのがなぜかといえば,それは文学作品の場合であれば語や成句などの意味が言語的に変わるからというだけでなく,より根底的には,新たな芸術作品のひとつひとつが,それと共通の伝統に連なる他の関連した作品を,ある程度書き換えてしまうからである.
    • さらに,この説は,ある芸術作品のある意味が妥当しなくなるにつれ,その意味は知識の可能な対象ですらなくなる,ということをも主張する.

[Radical historicism is...]編集

  • 根底的歴史主義については,サピア・ウォーフの仮説同様,[ふつうには]想像できると主張されているものが,よく反省すると想像できないことがわかる,と言うはめになる.これが最大のコストだ.
    • 例えば,シェイクスピアの同時代性にとってみれば,それのもととなるチョーサーの*Troilus*は退屈で,*Troilus and Cressida*によって彼[シェイクスピア?]の好みに共感することを,私たちは根底的歴史主義のもとで想像する.[シェイクスピアはチョーサーより300年ほどあとの人物.]
    • そして,根底的歴史主義が正しいなら,シェイクスピアの同時代人たちにとっても,私たちにとっても,こうした比較は開かれていない.同時代人たちにとっても私たちにとっても,比較のためには1つの時期[term]しかアクセスできないのだから.

第2の反論:調査説編集

[2. A second objection...]編集

  • 第2の反論は,回復説の帰結だけでなくその説じたいに集中する.
  • 反論によれば,回復は批評的観点からすると誤解を招くか役に立たないかである.
  • この反論は批評とは調査[scrutiny]であるとする点で対照的.
    • 文学テクストなどを調査する際には,[制作過程の]回復など,調査結果から逸脱する点で誤解を招くものか,もしくは調査結果と比較すれば役に立たないものでしかない.
      • 回復は調査を前提とするのであって,逆ではないのだから,回復は役立たず.
      • 回復が誤解を招かない場合には,回復結果は調査結果の複製でしかないのだから.

[But how does this...]編集

  • しかし,回復が調査より悪かったり悪くなかったりするというとき,その違いはどう特徴づけられるだろうか?
  • 任意の芸術作品とその制作過程とについて,可能性は2つある.
    • 可能性1:制作過程そのものが芸術作品の中に見出される
      • この場合,回復によってもそういう作品であると示せるようになるのと同様,調査によってもそうであるとわかる.
    • 可能性2:そうではない
      • この場合,調査によってもそういう作品であると示せるようになるのと同様,回復によってもそうであるとわかる.

[This objection to the...]編集

  • この反論は,それ自体としていくつもの点で脆弱である.

[In the first place, ...]編集

  • [つづく]

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